「仏像作って魂入れず」という言葉をESを読んで感じた件について

こんにちは。

 

 今日はへんてこりんなタイトルですが文章を読んでいて中身がないな、と思ったことについて書きます。タイトルにESと書きましたがESに限らず学生さんが書く文章全般についてこのように思いました。

 

 それでは「仏像作って魂入れず」とは何かについて考えます。要は肝心なものが抜けてしまっているといった意味です。肝心なものとは自分の考えたことや自分の強みなど本質的なもののことだと思います。自分の内面にあるものを顕在化させるために言葉を使って形作るのが文章だったりプレゼンテーションだったりするわけです。

 

 しかし就職対策講座(私もやってますが)などでES書き方講座が最近とても充実しています。これ自体は別に悪いことではないと思います。文章を書く時の基本である構造(主張・根拠→詳細説明→まとめ)を学ぶことで型を身に付けます。そこから自分自身の考えていることや思いといったパーツを集めて型にはめていきます。だから読みやすい文章になるのです。

 

 ここで問題は型にはめるパーツの部分に手抜きが見られるということです。型がしっかりしているから「まぁ、いいだろう」となっちゃうんでしょうね。型は基本ではありますがすべてではないので中身が問われるのです。パーツの吟味こそが肝心な部分なのでもっと練らなければいけないでしょう。10年以上前に建物の強度偽装が問題になりました。姉歯物件といわれたやつですね。材料をケチるとぐらつきます。まずはしっかりとした材料をそろえて型を作ってみてください。

今日はこんなとこです。

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